「杉本博司:時間の終わり展」_1_Posted at 23:15

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会場に入ってまず最初に目に入ってくるのが、
東大の研究室と提携して作り上げた、
「観念の形」シリーズだ。
黒のバックに数式のタイトルが付けられた塑像だ。

数式のタイトルはx、y、zの三次関数で示されていて
私のような文型人間には
題が示す内容がさっぱり理解できなかった。
今度数学に明るい人と見に行きたい。
ただ数式という抽象的概念を観念へと変換し
その変容を目に見える形で提示している。
写真だけではなくこの美術展では
金属を研削したタイプのものもあり、
写真だけでは把握しきれない
その像がもたらす陰影や圧倒的な存在感。
そして奥行きも実体験できる。
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続いて「ジオラマ」シリーズへ。
「剥製を前にして目を閉じた後、
再びその剥製を見たとき本物に見えた」という
エピソードから作られた作品群。
作り物の動物や背景を用いて
ひたすらリアルさを追求して作り上げたプリント作品。

文字通りこれらは模型にも関わらず
異常なほど精巧に作られていて、
本物としてしか把握できないほどだ。
「どんな虚像でも、
一度写真に撮ってしまえば、
実像になるのだ」と彼が言っているように、
私たちにとっては目の前で起こっていることが
現実なのか?空想なのか?なんてことは
あまり問題ではないのかもしれない。
「いかにも作り物であって見え」ても…。
なぜなら私たちが功利主義に走ってしまうことからも
一目瞭然である通り、自分にとって
それが害を与えるものなのか?
益をもたらすものなのかが
最優先されるに違いないからだ。

モノを正確に捉える「目」を持たない
私たちが存在していること
ただそれだけを
「実像」として映し出している作品だ。

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ジオラマ」シリーズの言わんとしているところを
別の角度から検証しているのが、
「肖像」シリーズといえるかもしれない。
この作品はホルバインの肖像で描かれた陰影を元に、
「写真」(≒プリント)という形態で
任意の人物を描いて見せた。

何人もの人物の「肖像画」が立てかけてあるのだが、
会場のつくりからいって
杉本のコメントが
2番目に最初か最後にしか読めない構成になっている。
最初か最後に見ることになるであろう
昭和天皇肖像画であることを考えれば
「もしこの写真に写された人物が、
あなたに生きて見えるとしたら、
あなたは生きているということの意味を、
もう一度、
問いたださなければならない」
というコメントは極めてアイロニカルな意味に感じ取れる。
まるで
まだ
新しい文化を構築できずにいる
経済はバブルから打開できずに
焦燥感だけが先立ち
昭和という時代を引きずっているという事実を
天皇をモチーフにつかうことで象徴させているようだ。

何が本物で何がそうでないのか?
ジオラマ」シリーズの繰り返しになるが、
その問題を留保し続け逃避し、
先送りというご都合主義な享楽的志向を
突き進んできたことに現状の原因があるような気がする。
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