「杉本博司:時間の終わり展」_2_Posted at 23:30

レビュー1では個々の作品についてみてきたが
このレビュー2では
遅ればせながらこの作品展について
総括的な視点で論じてみたい。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「劇場」は劇場にカメラを持ち込み
映画の上映から「終わり」まで
シャッターを開きっぱなしで撮影されたもので、
屋内の劇場(映画館)から屋外のDRIVE-INまで
様々な劇場での撮影が敢行された。

真っ白なスクリーンは「始まり」とも理解できるのに
この作品からはそういったものが感じ取れなかった。
陰影という白黒写真のモノトーンさにも原因があろうが
この作品には人が全く写っていない
劇場にガラガラな客席が
寂寥感と絶望感を煽る。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

「海景」は海・空とその境界線のみによって
構成されている作品で、
船や海鳥などの生物がその「場」には存在しない。
息づかいが全く感じ取れない
文字通り「取り付く島がない」印象を受ける。
きっと遭難したらこんな感じ。
何もないからこそ、
新しいものを生み出せるという風にも考えられるけど
手持ちもとっかかりもない状態からは
グロッキーになって意欲も沸かない。
頭に浮かぶのは「手遅れ」とか「The End」ぐらい。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

この美術展は「時間の終わり」という
タイトルがついている。
これから「終末観」を連想する方も多いのではないか?
時間が終わるということは
過去-現在-未来という時間軸上での進行が止まる
あるいはその概念自体を無効にしてしまうことである。

人間は年老いていつかは死んでしまう。
絶対的な条件だからこそ
儚いながらも完全燃焼できるってものだ。
人間が長らく夢見続けた不老不死は
いつまで経っても行き続けなければならないことを意味する。
いつまで経っても終わりのこない世界は
逆説的に人間として
終わっている(=死んでいる)も同然であろう。


観る側の進行している時間とは逆に
額縁の中の「劇場」・「海景」は
時間が止まっていることを顕著に感じさせる。
この対照的な2者の関係が
観客の
人間の「生」についての思考を促したのだと思う。