『陰翳礼讃』_Posted at 13:07

ファッションファッショ(p102)で
「かつて
日本は『陰影礼讃』の国であったのだが…
皆さん、谷崎は読んでくださいね。[…]
今の日本って、
下手に『日本文化を』とか言えないのよ」と
山田詠美氏に強く推された手前、
読まずにいられるかーってなことで購入。


「小説なんて要するに下らないものだ[…]
何千何百何万冊あるか知れぬが、[…]
何等かの形で
恋愛問題に触れないものは
絶無だと云っていゝ」(pp92-93)
これは
私が
映画にしろ小説にしろ
フィクションものに
積極的に触れないでいる
理由の一つであります。

面白いプロットであっても
結局一対の異性愛
終着してしまうものが多くて
興ざめしてしまうからなんだけれども。


閑話休題
西洋諸文化の流入
西洋の美意識の流入も伴った。
文学においては
「『恋愛の解放』や
『性欲の解放』にあった」(p111)と
谷崎は指摘する。
当時の社会が
「早晩『自覚ある女』の出現を望み、
かつ夢見ていた」(p112)ために
その思想の浸透も早かったようだ。

新しい時代の中で
「日本の夜明け」を待たずして
身の丈に合わない
文化のスプロール現象
飲み込まれてしまった。
その時被ったのは
それは
「われゝの女性が真に彼ら(=西洋人)と
同等の美を持つために[…]、
われゝもまた彼等と同じ神話に生き、
彼等の女神をわれゝの女神と仰ぎ、
数千年に遡る
彼等の美術をわれゝの国へ
移し植えなければならな」かったこと
ではなかろうか。
(pp112-113)





「勝負服ってあっていいと思うの。
でも、[…]
欲しげに見えてしまう服というのはダメよね。
そもそも
今の日本の世の中が間違っているなと思うのは、
胸が大きくないと
女じゃないという風潮があるじゃない?
逆に、
痩せてる女も鎖骨がいいとか言われると、
全部さらけ出そうとするし(ピーコ)」
(『ファッションファッショ』p94)

「明朗な近代女性の肉体美を謳歌する者には[…]
女の幽鬼じみた美しさを考えることは困難であろう」(p48)と
谷崎が懸念していた通り、
今女性に求められるものは
男性を
挑発どころか威嚇するくらいの
肉感的なセックスアピールだ。



「昔はxxだったのに、
今時(の若者)は…」と言うのは
何も谷崎に限ったことではない。
誰にとっても今より過去が美しく映るものだから。
無思慮に昔に還れと私は思わない。
けれども
得たものの代わりに
失ってしまった何かを突き詰めることは
有意義なことでは?


恋愛論→ファッションファッショ→陰影礼讃って
なんだか数珠つなぎみたいなことになってますが、
こういう本の読み方も嫌いじゃありませぬ。