「文士と姦通」_Posted at 23:25

姦通(不倫)は、
少なくとも近代日本においては
不義の密通であり、
犯したものは社会・経済的に
激しく制裁を課せられるものであったが、
度々文士たちは不貞な行為を重ねた。
本来は情愛を通じる営みが
状況によっては、
姦通を犯すことになってしまう。

けれど彼らには(きっと)
罪の意識なんてないのだ。
単純に
『自分が見、聞き、触れ、感じた(p183)』いことを
実行に移し、
そのままその通りに書いただけなのだ。
単に直情径行なだけ。
無論、
封建的な男「性」観が不倫に走らせたのだ
という声も聞こえそうだが、
宇野千代岡本かの子佐多稲子の例を
観ればその論点は無効なのが明らか。


私生活から綴った、
当時の小説は「私」を補って
私小説とした方が説明がつくことが多いのかも。
なぜなら私生活と私小説
互いに説明補足しえるものだからだ。

本書は
小説家を題材にした
ノンフィクションにも拘わらず、
推測における小説的な筆致
つまり
深読みに近い感情論が
見られたのが実に残念だ。