『日韓音楽史ノート』_Posted at 00:54

「見失われてきた
韓国人の音楽情緒」を求めて
在日3世の著者が流離い彷徨い歩く。

刻一刻と
常に上書きされるのが
歴史の宿命である。
そして
政治的な権力により
人間の行き来が続いたり途絶えたりので
文化の隔離は有り得ない。
よって
過剰なるナショナリズムの影響から
混沌とした文化の集積から
純血性を濾過し
ルーツを追い求めるのは
無意味な気が私はするのだが、
著者も同じ立場に立っていて
その信条は以下の文章に集約されていた。
『帰るべき「故郷」など、本当は存在しない。
存在しない故郷、美しき過去の記憶が作り上げた
ユートピアに帰る道はない。
ただ、たどりつくべきどこかをめざして
「他郷」を生き抜くしかないのだ』
(P110)

我々は
自分とともに生きてきた場所に愛着を感じる。
愛しいが故に生まれる執着は
主観的な絶対性を
拭うことが出来ないのにも拘らず
絶対的な普遍性を帯びると
思い込んでいる。
「精神的な座標」(P193)の「原点」が
個々人でズレが生じる以上、
どんなに精緻なイメージを
浮かび上がらせられても
実のところ
精確に捉えられているかは怪しいのだ。
(453)